桜が咲いて、4月になって

 

昨年末にこのブログを作って、記事を1つだけ書いた。

その後、2017年の振り返りとか、2018年の抱負についてブログを書きたいなと思いながら、ずるずると4月になってしまった。気がついたら桜は咲き、散りはじめている。

まだ冬じゃんと思いこんでいた季節は春で、自分が春だと思っていた季節は、地球にとっては夏なのかもしれない。

 

毎年感じるけれど、時の流れが日に日に早まっている気がする。

みんなそう言ってるから、気がついたら、今年も終わってしまうのではないか、何もできない自分のまま、今までと何の代わり映えのない毎日を過ごすのではないか、このままきっと何の変哲もない人生が滾滾と続き、いつか来るその日に綴られてお終い。

そんな自分の進む先を妄想すると、なんとも物悲しくて、悲嘆に暮れる。

 

だからこそ、その悲嘆を抱いた瞬間を可能な限り書き留めよう。

悲嘆を悲嘆として感じたその瞬間、感じた自分が存在していることは確かなのだから、なんていうとデカルトになった気分になる。

 

なんてとりとめのない文章。そのとりとめのなさも、自分自身が愛おしんで挙げなければ、なんてあてのない責務を感じる。

とにかく書く、こんなポエム垂れ流すなと誰になんと言われようとも。

 

そうだ、2017年について書こうと思っていたんだった。

2017年はどんな年だったのだろう。

自分の好きなもの、大切なものの愛おしさを感じた1年だったように思う。

大切な人が、少し離れたところに引っ越したり、同期が大学を卒業して、なかなか会えなくなったり。いつでも会えるとき、触れられるときにはそのものの大切さを実感しにくいのかもしれない。

 

例えるなら、AmazonのPrime VideoでPrime特典担っていた映像作品。

Prime会員で見放題だから、いつか見ればいいや、と思ってウォッチリストに入れたきり見ない。そのままPrime特典期間が切れて、ああ、見ておけばよかったと思ったり。

 

改めて思い返すと、特に変わったことは何もしていないような気もする。

株でびっくりする金額の利益を出してみたり、それがひっくり返るほどの損失が1日で計上されたり、仮想通貨で儲かっている人を妬ましく感じたり。

アルバイトで月15万弱稼いだり、住民税を徴収されたり、勉強したり、本読んだり。

 

そんな日常が積み重なって1年になって、また新たな1年を積み上げて。

 

 

途方も無いけれど、その1枚1枚をうまく掬えるようになったらいいなぁ、なんて思う暑すぎる春も悪くない。